1986-11-20 第107回国会 参議院 日本国有鉄道改革に関する特別委員会 第5号
しかし同時に、地元の同意がなければ休廃止を行うことができないとまですることは、私はこれは事業者にとっては余りに酷過ぎる話になる、そしてまた、場合によってはこれは不合理を生むことさえあり得るのではないか、理屈詰めで議論をいたしますとそういうこともあり得ると思います。ですから、やはり地元の同意というものまでを条件とすることは運用上適切を欠くのではないでしょうか。
しかし同時に、地元の同意がなければ休廃止を行うことができないとまですることは、私はこれは事業者にとっては余りに酷過ぎる話になる、そしてまた、場合によってはこれは不合理を生むことさえあり得るのではないか、理屈詰めで議論をいたしますとそういうこともあり得ると思います。ですから、やはり地元の同意というものまでを条件とすることは運用上適切を欠くのではないでしょうか。
健康要件に関しては、汚染と影響ということの関係でやるべきでございまして、先ほど先生の御指摘のあったような問題は、対策を打つ場合にどの程度までの細かな理屈詰めができたらできるかということでございまして、もしも先生の御指摘のあるような精微な議論をしましたら、対策すらもなかなか進められないようになるというぐあいに、私はきわめて危倶するわけであります。 〔古寺委員長代理退席、委員長着席〕
だから理屈詰めをするんじゃないけれども、それは局長はもう少し私は——それも局長は、五年も六年も七年も前からあなたがなさっておるというんじゃないから、そういう事情を言うならば数限りないですよ。しかし、当面の恩給局長としては、そういうことは当然私はお考えあってしかるべきだと思うのです。いまこの時点になって、いろいろな問題があって、こうだああだ、こうだこうだと、そういうことは全部計算済みですよ。
ぼくの言うのは多少理屈詰めかもしれませんけれども、私はそういうふうに考えるのですが、その点はいかがでしょうか。
しかも、しつけというものは子供のときにやらなければ、年をとって理屈詰めでやっては何にもならぬ。どうしてもしつけというものは子供の間にやらなければならぬ。そのためにやっているのだというお話がございました。そういったようなこともあわせ考えないと悪い方面に使われるのではないか。 それからまた、教育につきましては、教育はいわゆる人間に対する先行投資であります。
だから、直接の経営の責任は、へたにいってもじょうずにいってもほんとうに理屈詰めでいくならば国鉄総裁かもわからない。しかし、私はそういう広い意味で政府の責任だと言われるならば、そうだと、こういう意味で申し上げて、今後国鉄がうまくいくということについて、責任の座にある所管大臣として、こういう方法でやっていくことがよいと考えておるのだということを申し上げたのであります。
「理屈詰めにいけば断わるのがしかるべきだと思うのでありまするが、実はこれは情に流れて、私の責任においてこれを決定した、」ということで、「責任を問われるならば国鉄総裁であって運輸大臣ではないということを私はこの際はっきり申し上げる。」こういうぐあいに出ております。またその次の答弁には「一つくらいはよかろうということで、これは私は心底から言えば武士の情けというかね。
私もアメリカで長い間勉強いたしましたが、非常に西欧諸国の人はものの考え方が科学的であり、理屈詰めだ。特にドイツ人なんか科学に対する教育といいますか、考え方というものが、日本人の一般的な考え方とよほど違っておると思うのです。日本人は非常に直観的であり、観念的である。西欧諸国の人は非常につき合ってみて、勉強していましても物理的であり、科学的である。
○高田委員 だから、あなたが責任においてやったというのに、理屈詰めにいけば断わってしかるべきものを、情におぼれて私の責任においてこれを決定した。それからいまここにもありますように、国鉄の犠牲においてそういうことをやったのは私の不徳のいたすところだけれども、何となくそうなった。こういうことも言っている。
「これは理屈詰めにいけば断わるのがしかるべきだと思うのでありまするが、実はこれは情に流れて、私の責任においてこれを決定した。」さらにこういうことも言っておるのですね。「一つくらいはよかろうということで、これは私は心底から言えば武士の情けというかね。
これは理屈詰めにいけば断わるのがしかるべきだと思うのでありまするが、実はこれは情に流れて、私の責任においてこれを決定した、こういうことでありまして、もしも責任を問われるならば国鉄総裁であって運輸大臣ではないということを私はこの際はっきり申し上げる。
おっしゃるように、理屈詰めばかりでもなかなかいかぬところがあるのです。したがって、当時われわれが真正面から当事者間でなかなか話合いがつかないときには、山梨県知事を実は入れております。しかし、何といいましても、問題が問題だけに、当委員会において委員長はじめ理事の方がおられますから、ひとつあっせんというとおかしいですが、両者の言い分を聞いて円満な御解決も願いたい。
日本の今の警察当局といいますか、取り締まり関係者の厳正なる取り締まり態度から見ると、必ず理屈詰めに犯意があるように言わされてしまいますから、どうしてもそれは危険だから、やらぬ方がいいということになってくるというだけの話です。
とにかく知能の低いと言いますと語弊がありますけれども、地方の後援会の人が、知能が高い、と言うとまた語弊がありますが、検事さんや警察官に理屈詰めにあって、結局後援会に寄付をしたら選挙のためになるわけじゃないかと理屈詰めになると、それは当該選挙に関しということになるというのが、日本の検察の方の事件関係の実情の成り行きです。
私は今ここで理屈詰めで大臣をとっちめてしまおうというのではないが、かたまっておらぬどころじゃなくて、いかにこの需要度が拡大しておるかということは、ひっぱりだこといっていいのですよ。こういう状態になっておる。従って年間百三十億円という膨大な資金を使われるのなら、当然その具体的な計画を立てておるものと私は信じておる。
○太田国務大臣 別に理屈詰めで言うわけじゃございませんが、あの修正案を、私の解釈するところにおきましては、区割りについて区画委員会の意見を尊重していくのでございまして、その以外の点のことはあの修正案の中にはないように私は見ております。その点は誤解のないようにお願いいたします。
○国務大臣(鳩山一郎君) まあそういうように理屈詰めに言われると、すべて国民の意思を聞いてからやりたいというような気分になるのですけれども、ものには緩急がありまして、政府でいいと思ったことは、やはり片っ端からやっていく義務もありますので、それでまあ政府でいいと思ったことはやり出したわけです。
こういう問題はそういういろいろと理屈詰めでなく、現実に苦しんでおる、この実態に対して外務省としては今後何らかの方法を考える意思を持つていて欲しいと思うのですが、それに対して意見を伺いたいと思います。というのは、日本のいわゆる中国に在留しておつた人たちが今度帰国に際して非常に中国側のいろいろなお世話になつて来ているということは帰国者のかたからいろいろ聞くたびにそういう話があります。
○証人(末弘嚴太郎君) 先程申しました資料を十分御覽願いますとお分りになりますが、恐らく一昨日衆議院の委員会の最後の、夜になつてから今井委員が詳しく説明したその記録を御覽を願うとよく分るのでありますが、実は私共見るところ、一般公務員についても、私共が挙げた十幾つかの項目のうち、一般公務員にも触れておるのではないかと、若しも理屈詰めに言われれば、そういう部分は、僅かに金額にすると十何円というような数字